『アフターデジタル2 UXと自由』
目次
[まえがき] アフターデジタル社会を作る、UXとDXの旗手へ
第1章 世界中で進むアフターデジタル化
第2章 アフターデジタル型産業構造の生き抜き方
第3章 誤解だらけのアフターデジタル
第4章 UXインテリジェンス 今私たちが持つべき精神とケイパビリティ
第5章 日本企業への処方箋 あるべきOMOとUXインテリジェンス
[あとがき] 待ったなしの変革に向けて
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[まえがき] アフターデジタル社会を作る、UXとDXの旗手へ
企業経営は、人を集めないことを前提にした業務、サービス、販売、開発などへの変化対応を迫られています。それはつまり、「DX」(デジタルトランスフォーメーション:Digital Transformation)への取り組みの重要性がさらに増していることを示します。
「新たな顧客体験(=UX:ユーザーエクスペリエンス:User Experience)を作り、顧客とアフターデジタル型の関係性を築くことがあるべきDXである」。別な言い方をすると、「UXを議論しないDX、顧客視点で提供価値を捉え直さないDXは、本末転倒である」
データの使い道
「日本では、使いもしない情報をユーザーに入力させ、そのデータをアップセル・クロスセルにしか使わない企業もまだまだ多いんだ」 「それは、ユーザーに不義理だよね。ユーザーは君たちにデータを提供してくれているのに、君たちはそれを自社の利益のためにしか使っていないということでしょう? それでは、企業とユーザーの取引関係が成り立っていない。ユーザーから信任されず、愛想をつかされてしまうよ。重要なのは、いかにユーザーに価値を提供し、ユーザーに愛され、使い続けてもらえるかだよ。
「アリババは中国で一番データを持っている企業だと思うけど、そのことを市民からどう思われていると思う?」 と質問したときのことです。 「それは非常に重要な問題だと認識していて、だからこそ得られたデータをいかに社会に還元するかを大事にしている。ユーザーに価値で還元するのは当たり前として、多くのユーザーがデータを預けてくれることには社会的責任が伴う。社会に還元して初めて、ユーザーが信じてデータを預けてくれる」
もう1つの「ケイパビリティ」は、本書では「能力」とか「方法論」という意味で使っています。なぜケイパビリティかと言えば、 データとUXの基本リテラシーが危うい からです。
前著にて「あらゆる行動をデータ化し、その利活用がビジネスの鍵になる」と書いたことが影響したのか、 データを持っていること自体を財産と勘違いし、データを共有したり、売買したりしようとする 考えが生まれ、データの扱い方として「販売のマッチング最適化」や「プロモーション効率化」ばかりを志向する 傾向にあることが分かりました。
第1章 世界中で進むアフターデジタル化
第2章 アフターデジタル型産業構造の生き抜き方
ポニー・マー氏によって1998年に創業されたテンセントは、「すべてをコミュニケーション化する」 というミッションを持っています。GAFAの中ではFacebookに近く、日本のLINEのようなコミュニケーションのプレイヤーと認識されることが多いようです。しかしその実、売上の半分以上はゲーム(ネットゲームやモバイルゲームなど)で稼いでおり、以前同社を訪問したとき、「7万人近くいる社員の半分はゲームの開発スタッフだ」との説明を受けました。創業当初はSkypeのようなメッセンジャー兼ゲームや音楽のプラットフォームである「QQ」を運営し、ユーザーを獲得していました。コミュニケーションアプリ「WeChat」は10億人のユーザーを抱え、モバイルペイメント機能も提供しています。アリババと比べるとエンターテインメントに強く、テンセントミュージックは中国でシェアトップの音楽サービスで、Spotifyと提携しています。
例えば、「送金する」という機能を例に説明しましょう。アリペイ(アリババ)にもWeChatペイ(テンセント)にも、チャットのように送金できる機能がありますが、違いがあります。アリペイは送られてきたお金がそのままウォレットに入る一方、WeChatペイでは送られてきたお金を「受け取る」というアクションを取らないと、ウォレットに入りません。中国に住み始めた頃、私はこの「受け取る」というアクションを忘れがちで、受け取り逃したことが何度かあり、「WeChatペイは、なぜいちいち受け取らせるんだ。アリペイのほうが圧倒的に便利だな」と思っていました。
しかし、ある体験でWeChatペイに対する認識が大きく変わり、Wechatペイが好きになってしまったことがあります。 その日私は部下を数人連れて、プロジェクトの打ち上げをしていました。楽しく食事を終えたタイミングで、上司である私はメンバーに「今日は僕のおごりだから、払わなくていいよ」と伝えました。すると1人の部下が「私もお金を出します」と言ってくるのですが、「いやいや、要らないから」と笑っていると、その部下は「100元だけでも払います」と言いながら、なんとWeChatペイで100元送ってきたのです。
このとき、はっと気が付きました。これは、日本でもよくある「とりあえず財布を出して、お金を出す気がある雰囲気を出しておく」という行動なのではないか、と。 試しに、「え、じゃあ本当にもらっちゃうよ?」と私が受け取りボタンに指を伸ばそうとすると、その部下は若干「え?」みたいなリアクションを隠しきれないまま、「も、もちろんです。受け取ってください!」と言ってきます。もちろん、「嘘だよ」と言いながら受け取らなかったわけですが、そのとき、テンセントの狙いをはっきりと感じ取りました。「すべてをコミュニケーション化する」テンセントは、「お金の受け取り一つにもコミュニケーションが発生する」と考え、日本でよく行われる「財布を出すポーズ」をデジタル上でできるようにしたのです。
アリペイはそもそもモバイルペイメントではなく、ペイパルのようなエスクローサービスとして2004年から始まっています。中国では相手を信用することが簡単ではないため、アリババのECであるタオバオで商談が成立しても、販売者と購入者が互いに「そっちが先にモノを送れ」「そっちが先にカネを送れ」とにらみ合いになってしまいます。そこにアリペイが仲介に入って、「まず購入者さんはアリペイに代金を送ってください。アリペイに送られてきたら、販売者さんにお伝えしますので、販売者さんは購入者さんに商品を送ってください。購入者さんが商品を受け取ったことを確認したら、代金を販売者さんにお支払いします」といった役割を担ってくれます。 これによって、中国国民から信頼されるサービスになった のです。
アフターデジタル型産業構造になることで、最も恐怖を感じているのはメーカーです。トヨタ自動車が「モビリティーサービス・プラットフォーマーになる」と標榜していることからも、多くのメーカーがこの危機感を持っていることが分かります。自動車は頻繁に購入するものではないので、メーカーは顧客接点の頻度が低く、顧客理解の解像度がどうしても低くなってしまいます。
不確実性保険(保証の商品化、既存流通における不快の商品化)
衆安保険:すべてのサービサーのための保険OEM 衆安保険とは、2013年にアリババ、テンセント、平安保険の3社を中心に作られたジョイントベンチャーで、2015年にはKPMGとH2ベンチャーズによる世界のフィンテックランキングで1位に輝いた中国初のオンライン専門保険会社です。2017年9月には香港でIPOを果たしています。 一風変わった保険会社であることは、商品を見れば一目瞭然です。いくつか紹介しましょう。 飛行機遅延保険(不確実性のギャンブル化)
「飛行機遅延保険」という保険があります。中国は日本と異なり、飛行機が数時間遅れることは珍しくありません。この保険は、「自分が乗る飛行機はきっと遅延する」と思ったら事前に購入しておき、実際に遅延すると、遅延1時間でいくら、遅延2時間でいくら、という形で保険金が支払われます。もちろん、遅延しないとお金は受け取れません。賭けのように見えるのではないでしょうか。 同様の保険に「高温保険」があります。被保険者のいる都市で37度以上になる日の累計日数が規定日数を超えると保険金が出ます。飛行機遅延保険と同様に、今年は猛暑かどうかを賭けるような保険です。
糖尿病保険
一方で、「糖尿病保険」という保険は、加入すると指に付けるデバイスが配られ、この痛くない無痛針の付いたデバイスを使って毎日血糖値を測り、状態が改善されるとプライスが変わっていくという、IoTとダイナミックプライシングを使った正統派インシュアテック(=InsurTech、テクノロジーを使った保険という意味)です。
返品運賃保険
最も有名なのは「返品運賃保険」です。中国では偽物が一定数存在し、仮に本物であっても思っていた品質でないこともよくあるため、アリババのECでモノを買う際にこの保険に入っておくと、商品が届いてから正式に購入するかを決めることができ、気に入らない場合の返送料を保険金でカバーしてくれます。
衆安保険のモデルは、 サービサーが勃興し乱立する時代を捉え、そのサービサーが保険を作りたい、付加価値を増やしたいと考えた際に高速でそのサービスにおける保険商品を作る、新時代型の保険OEM と言うことができます。衆安保険の方に話を聞くと、「保険を作るというよりも、体験価値を強化するサービスを提供しているという考え方に近い」と言い
商品の作り方は、通常の保険企業とは異なります。これまでの保険商品は、既存の保険商品の枠組みに合わせて、市場の環境を踏まえ、リスク計算をする保険計理人の下で保険の専門家が商品設計をします。しかし衆安保険は、各業界の専門家を責任者に据えることが多いそうです。例えば旅行保険の部門であれば、オンラインの旅行会社でマネジャーの経験がある人を雇い、「旅行におけるカスタマージャーニーを考えたときのリスクを考え、商品化せよ」と言われるそうです。そうしてカスタマージャーニーを丁寧にひもとくと、「飛行機が遅れることは旅行や出張のリスクになる」と考え、そうしたことが保険商品化されるそうです。このようなプロセスを高速にアジャイルで開発することを重視しているため、年間の目標商品開発数は100(注)、既存の商品は数百にもなります。
ラッキンコーヒー
スターバックスが参入しなかったデリバリーフードで飛躍したのがラッキンコーヒーというスタートアップです。2018年1月からサービスを開始し、わずか1年で2,000店舗を構える驚異のスピードで拡大。圧倒的な利便性とブランディングで市民権を得ることで、店舗拡大の資金を集めたのです。特に購買体験の利便性が高く、家に届けてもらうことも、家を出るときに買って会社に届けてもらうことも、先に買っておいて会社に行く途中でピックアップすることもできます。購入時に発行されたQRコードを友達に送って、友達にピックアップしてもらってもよい、という融通無碍の買い物体験が人気を呼び、瞬く間に「スターバックスの競合」といわれるまでになりました。
実際、私も、家を出た瞬間に朝ごはんとコーヒーをスマートフォンで注文して会社へのデリバリーを依頼すると、会社に着いたタイミングでコーヒーと朝ごはんが届きます。この便利さと、2杯分のコーヒーチケットを買うと1杯無料になる価格上のインセンティブに心を奪われ、もともとは会社の近くのスターバックスに足を運んでコーヒーを買っていたのに、ラッキンコーヒーしか飲まなくなりました。
スターバックスの反撃
スターバックス専属の配達員は1件の注文に対して、寄り道せずに直接届けてくれる1to1配送を実施するため、注文後10~15分で配達してくれます(私の経験では最短7分でした)。配達費用は通常100円程度ですが、専属配達員の場合150円程度と50円高いです。ただ、単純に早く届くだけでなく、コーヒーの味も損なわれず、かつ、フードを頼んでもまだ温かい状態で届くため、味自体が普通においしい、というベネフィットを感じます。スターバックスを迷わず買うような顧客層は、デリバリーの50円差など特に気にせずに注文するようです。 私はラッキンコーヒーの味に不満があったこともあり、この利便性と味のベネフィットにより、一気にスターバックスに寝返り、今では1日2、3杯スターバックスのコーヒーを注文するようになりました。
第3章 誤解だらけのアフターデジタル
「国家の運営体制」「経済構造」「文化背景」の3点から見ると、日本でも起きそうか起きなさそうかをある程度判別できる でしょう。
国家体制
日本と中国は「1-6 日本社会、変化の兆し」で書いた「ホワイトリストとブラックリスト」という違いがあり、法規制も異なるので、新たなサービスの生まれる速度が違えば、生まれやすさそのものも違います。これは「国家の運営体制」の違いであり、「乗り捨てOKなシェアリング自転車なんて日本では無理」「白タクのサービスなんて国が許してくれない」といった話はここに属します。
経済構造
「経済構造」による違いというのは、簡単に言うと貧富の差やその分布を指しています。第1章ではスーパーアプリが中国で成功し、東南アジアで拡大していると書きました。これは銀行口座を持たないアンバンクト(unbanked)と呼ばれる層が一定数いて、その人々に金融機能を提供することで成り立つ側面が大きいと言えます。デリバリー配達においても、安い値段でデリバリーが可能なのは年収100万円もあれば十分に暮らせる環境があることが前提です。
文化背景
「文化背景」というのは、外食文化なのでデリバリーとの親和性が高いとか、コーヒーが多少冷めていてもあまり気にしない、といった基本的な習慣を指しています。外国の事例を見るとき、こうした文化背景を理解するのが一番難しいと思います。例えば第2章で、テンセントが紅包(ホンバオ、またはレッドポケット)というお年玉の風習を使ったゲームでペイメントを一気に普及させた話をしました。ここで重要なのは「ゲームを使ったこと」よりも、「年末の習慣」をゲーム化させたことにあります。こうした文化背景を理解せずに事例を見ると、「なるほど、ゲームで広める手があったか」となり、大切な背景を見逃してしまいます。
決済プラットフォーマーとしてアフターデジタル型産業構造のトップに立つには、「圧倒的な資金力」と「考え抜かれたUX(ユーザーエクスペリエンス)による圧倒的なユーザー数」の2つの条件が同時に必要になります。双方の条件を持っているアリババとテンセントは、投資提携によって「我々がお金を出して存続させてあげるから、君たちはとにかくユーザーをかき集めてサービスを大きくしなさい。何なら我々のサービスからの入り口も作ってあげましょう」というスタンスを取っているわけです。
・中国と比べ、人口を背景にしたネットワーク効果が効きにくい。
・既にサービサーが単独でマネタイズしているケースが中国よりも多い。
・ペイメントサービスが、購買データや接点からマネタイズする機能を持っていないか、機能として弱い。
(1)のEC化率というのは、全購買に占めるECの割合を示しており、実は世界で20%を超えている国は存在しません。中国は20%手前で頭打ちになり、米国は15%の手前で頭打ちになっています。そうした数字を把握している世界的なECプレイヤーは、ビジネスを拡大させるために1国にとどまらずグローバルに展開し、世界中の国の20%(まではいきませんが)を取りに行く戦略を採っています。
しかし、アリババは違いました。14億人(世界の人口の約5分の1に当たる)もの人が暮らす中国EC市場で圧倒的な存在になったアリババが次に採った作戦は、「14億人の80%を取りに行く」オフライン進出です。 その1つがモバイルペイメントのアリペイです。アリババの方に聞いたところによると、「ECだけではシニア世代を獲得できなかったが、アリペイを始めてからシニア世代を一気に獲得できた」そうです。
次に、「(2)顧客獲得コストはオンラインよりオフラインのほうが安くなった」という、もう1つのOMOの背景について説明します。中国は人口が多く国土が広いだけに、10億人と接触が可能なオンラインチャネルは重要度が高く、レッドオーシャン化してしまいました。その結果、業界にもよりますが「オンラインでユーザー1人を獲得するために数万円コストを使う」ということも常態化していました。 そこで、新たなユーザーを獲得するために、オフラインに進出したのです。例えば、「ショッピングモールに化粧品の試供品が入った自動販売機を置き、WeChatやアリペイのアカウントを登録し、会員になることで、安い値段で試供品をもらうことができる」といった施策です。これは、「オンラインでやみくもにプロモーションするよりも、ターゲットになり得る人が多く来訪しそうなモールに自動販売機を置いたほうが目にも触れるしコストも押さえられる」といった考え方から実行されています。
店舗ではもっと便利にアプリを使うことができます。フーマーの店舗に行き、例えば旬の商品があったとして、この商品のQRコードを専用アプリで読み込むと、商品の詳細情報やトレーサビリティ(産地や生産者の情報)はもちろんのこと、その食材を使ったレシピが複数出てきます。調理時間や実際に作った人数、評価を見ながら、今日はこれを作ろうと決めたら、あとは「一括購入」のボタンを押して手ぶらで帰り、30分後に家で食材を受け取れます。 図表3-3 は、フーマーのアボカド棚にあるQRコードを読み取って表示された画面です。真ん中の画面の下半分には、このアボカドを使ってできる料理と、その料理の所要時間、作ったことがある人数、お薦め度が書かれているので、レシピも選びやすいです。フーマーにある食材のほとんどすべてに、こうしたレシピが5個前後作られています。そのコンテンツ力もさることながら、食材が売り切れてしまって作れないレシピがあると、それも可視化されるようになるなど、データ管理も徹底しています。
現在の日本において、UXという言葉はUI(ユーザーインターフェース、つまりはアプリやウェブの画面上のデザインや使いやすさ)と一緒に使われてしまい、なかなか経営レベルで語られることはありません。しかし、GAFAやアリババ、テンセントでは、UXの設計がビジネスのすべてを決めるといっても過言ではないことが理解され、経営レベルでUXが語られます。なぜなら、 UXとは「ユーザー(デザイン)、ビジネス、テクノロジー(機能)の3つがそれぞれ関わり合うときに生まれる体験・経験」 であると捉えているからです。体験提供型のプレイヤーであるために、いかに高頻度で長く使ってもらえるかがビジネスのすべてを決めると理解しているからです。
(1)データエコシステムやデータ売買を中心に置いた「実現性の見えない大きな絵」ばかりを描かないように、データ活用や共有の幻想を解く必要がある。
(2)「デジタル」という手段にととらわれ過ぎず、デジタルとリアルの強みと弱みを正しく捉え、つなぎ合わせることで顧客との新たな関係を作っていくことにOMOの本質がある。
(3)「広範囲なデータでいかにマネタイズできるか」ではなく、「個社で取得できる行動データをいかにUXに活用するか」が鍵となる。
第4章 UXインテリジェンス 今私たちが持つべき精神とケイパビリティ
おもてなし」という言葉が日本の強みや誇りのように使われています。この言葉は「間や先を読んで丁寧に対処する」という意味で使われるケースがほとんどですが、これは本来の意味とは異なっています。星野リゾートの星野佳路氏は、日本におけるおもてなしの本質を、「世界観を見せつけることにある」と言います。 西洋における接客としての「サービス」という言葉は、「Serve」から派生しています。相手に尽くす「Servant」(召し使い)という言葉も同源です。つまり、相手の言うことを御用聞きし、相手がやりたいことをすべて実現するものであり、「間や先を読んで丁寧に対処する」ことも含まれています。「相手に対応する接客・接待」と言えるでしょう。 一方で、 日本のおもてなしは、美徳やモラルが共有されていることを前提に、むしろこちらが作り出した世界観を相手に提示するもの です。トヨタ自動車が提供する「レクサス」の接客方法にも使われ、おもてなしの礼法として有名な小笠原流礼法を例にとってみても、お辞儀の仕方、接し方、言葉遣いなど、完成された世界観、人との関わり方の哲学を基に、すべての所作を完璧にこなすものです。一つひとつの所作は、ユーザー側が「そうしてほしい」と思っているわけではないのですが、それでもその完成された世界観に裏打ちされた所作・対応に美しさを感じたり、魅了されたりするわけです。
では4つ目の「アーキテクチャー」は何かというと、「環境の設計を通じて、行動をコントロールする手段」を指しています。例えば、信号が赤になったり踏切の警報機が鳴ったりしたら止まらないといけないとか、建物にドアが付いていたら基本的にそこから出入りするものだとか、自然と周りの環境に適した行動を取るための「環境設計」を指しています。男性用トイレの小便器にはしばしば「的(マト)」が付いていることがあります。この的は「そこに当てると飛び散らない」場所に置かれており、このような的を置かれると人はなんとなくそこを狙ってしまうので、結果としてトイレがきれいに保たれます。他にもマクドナルドでは、あえてイートインの椅子を硬いものにしておくことで、ユーザーが座るのに疲れてしまい、結果滞在時間が短くなって店舗の回転率を上げることができるといった手法が使われていました。このように、環境設計によって行動規定する手段をアーキテクチャーと呼んでいます。
アーキテクチャー設計では「特定の行動がしやすい」「特定の行動はできない」という環境を作ることで、発生しやすい状況を生み出す ことができます。Twitterを考えると、「増殖したツイートに返信を付ける」という行動を誘発しやすい構造があえて作られています。かつては他人の投稿をシェアする「リツイート」のみがフォロワーのフィードに反映されていましたが、2017年3月以降から「いいね」もフォロワーのフィードに反映されるようになりました(注)。ツイートは拡散すればするほど広告的な効果や影響力を示すことができる一方で、もともとの興味関心や考え方が遠い人にも露出され、仮に前後の文脈があったとしても140文字の1ツイートだけが読まれやすくなります。
第5章 日本企業への処方箋 あるべきOMOとUXインテリジェンス
Twitterで「置き配したら盗まれた」と書いた瞬間、Amazonの公式Twitterから相談窓口のURLが飛んできて、トラブル対応をしてくれるそうです。その迅速さと素晴らしさに感動した、という話もあるようです。どうしても起きてしまうトラブルに対して、多少泥臭くてもきちんとSNSを巡回しつつ、対応の手厚さによってピンチをチャンスに変えていますし、なるべくコミュニケーションの 齟齬 がないように、置いた荷物と周辺の写真を送る対応を行っているところは、さすがと言わざるを得ません。「OMOというには小さい事例だ」と感じるかもしれませんが、多くの企業がこうしたリスクを解消できず、実現せずに終わっています。ユーザーにとっては、このような体験の有り無しが、サービスを選ぶかどうかを大きく左右しますし、企業論理ではなくUXを中心に据えられるかどうかは、企業・サービスとして天と地ほどの開きがあるため、これはOMO的事例です。
ヤマト運輸も、ユーザー側の論理に対応する新たな物流サービスを提供しています。「フルフィルメントサービス」と呼ばれる新サービスで、2020年3月に、PayPayモールおよびYahoo!ショッピングの出店ストア向けに展開しています。通常、モールに出店しているストアは、受注が成立すると、データ処理、領収書や納品書の発行、梱包など、様々な業務を行った上で出荷し、出荷してから運送業者の仕事になります。 フルフィルメントサービスでは、受注以降の作業をすべてヤマト側で業務代行します。出店ストアに対しては、出荷作業の負担軽減や、物流にかかる人的コスト削減といったメリットがあります。一方で、ストアの営業日かどうかにかかわらず出荷可能になり、受注から出荷までのリードタイムを短縮できるため、ユーザー側も「翌日配達」で受け取りやすくなるなどのメリットがあります。もちろん、モール事業者にとっても、他モールとの差異化を図ることができるので、メリットがあります。 サービスモデルはそうではありません。ユーザーがアクティブにサービスを使い続けてくれていることが重要です。仮にサブスクリプションであれば、加入後に解約されない期間が長いことが重要ですし、モバイルゲームのように都度課金される形式であれば、そのゲームを辞めずにずっとプレイしているかどうか、または特定のハードルをクリアするほどハマっているのか、が重要になります。つまり、期間の損益よりもユニットエコノミクス(顧客1件当たりの経済性)を見ながら投資判断が行われるわけです。 製品販売型ロジックとユニットエコノミクスの違いは、 図表5-1 のように、「期間で見る」のか、「ユーザー1人当たりのLTV」で見るのか、に明確な違いがあります。しかもユニットエコノミクスでビジネスを評価する場合、獲得コストの1倍以上の売上を18カ月以内で確保できると健全な状態と言われているため、成長するためには先行資金が必要になります。スタートアップが資金を集めて大きくしていくのと同様です。
DXの目的は「新しいUXの提供」であり、その実現と成功に対しては、「単発の事業がビジネス的に成功する」ことよりも、「組織としてバリュージャーニーの企画運用ができるようになる」ことのほうがよほど重要です。仮に失敗しても、「初めからこういう形でデータを取得しておくべきだった」「コンテンツを作る人材が圧倒的に足りなかった」「他部署の巻き込みが不十分で、連携に時間がかかり過ぎた」といった様々な知見がたまり、それを経験したメンバーが強いDXメンバーになり、そこから得られた経験からチャンスが見いだされ、サントリーのように全社活動になっていきます。
日本のDX、OMOも既に待ったなしの状況にある中、先進的な取り組みも多数見られ始めています。アフターデジタルに対応するDX実践者との議論や、彼らの経験談から、あらゆる推進者に共通して起こりがちな落とし穴や必要なプロセスを、事例とともにピックアップしてきました。そこには、社内説得、ケイパビリティ調達、という大きく2つの壁がありました。 (1)社内の意識変革や説得を通して、どのように会社全体で話を通りやすくするのか。
【地盤固め】 DXの必要性と目的の認識をそろえる。
【目指す絵の確認】 事業そのものだけでなく、ケイパビリティ取得や、高LTVモデルへの転換といった大義設定を行う。
【まずは経験する】 失敗を恐れずなるべく早く開始してラーニングし、より具体的な成功への道筋を示すことで社内全体を巻き込む。
(2)ケイパビリティをいかに調達するのか。
【対話型組織】 上からの情報共有が十分行われ、かつ下も上も横も一緒に対話と議論ができる組織を作り、自ら価値を考えて動ける文化を作る。
【オンオフの補完関係】 オンラインとオフライン、双方のプレイヤーにおいてケイパビリティを補完したいと考えているため、「目指す世界が近い企業」と補い合うべし。
[あとがき] 待ったなしの変革に向けて